EDM、軌道修正が必要


準備期間も含めてここ一年、ageHaさんやEMIさんを始めとする、たくさんの方々と一緒になってEDMの普及活動をしてきた。そのかいあってかどうかはわからないが、EDMは普通名称としてもう一般に認知されている。その証拠に“EDM”をタイトルに挙げたCDもたくさん出ているし、DJのプロフィールやパーティの告知、メディアの記事やライナーノーツにも、この単語は普通に使われるようになった。

もちろん海外では、Electronic Dance Musicという言葉自体は20年前にはすでに存在していたというし、その略称としての“EDM”も数年前から普及していたから、このような状況になることは当然だったと言えよう。

そこで思うのだが、日本では“EDM”の意味が、妙な形で広まりつつある。
ネガティブな意味にも捉えられる記事を書くのは不本意だが、さすがに看過できなくなってきたので、書くことにした。

まず、“EDM”を広義に捉えるのはやめたほうがよい。それをやると、リッチー・ホウティンからマッシヴ・アタックまでEDMになってしまい、単語としてあまり意味をなさなくなる。海外メディアも、大勢はそのような捉え方をしていない。

だから、電気グルーヴやサカナクションを“EDM”とは呼ばないほうがいい。本人達だってそう思っていることだろう。「えっ?俺たちもEDMなの?」と。

次に、「EDM=エレクトロR&B」ではない。日本ではヒップホップDJの多くがEDMをかけるようになっていて、それはそれで歓迎すべきことなのだが、「本当はR&Bが好きなんだけど、流行ってるから一時的にEDMをかけてる」という考えで転向しているのだったら、考え直してもらいたい。それはDJとしての魂を売ることで、セルアウトにつながる。

EDMで重要なのは“エレクトロニック”であることだ。その点ではEDMは、オーガニックなR&Bとは本来相反するものなのだ。だから、David GuettaがR&Bシンガーを起用したとき、みんな新しさを感じたわけで、Guettaがやったことは“エレクトロ・ハウスにR&Bを取り込む”作業だったのだ。つまり“EDM”にとって、R&Bは補助的な要素であって、そこで主客転倒してはいけない。海外の状況を見てもわかるとおり、EDMのトップDJにヒップホップ出身の人は僕の知る限り一人もいない。彼らは、みんなエレクトロ・ハウスやトランスをかけてきた人たちだ。そこにEDMの本質に対する回答がある。

最後に、EDMは「パチモン・カバーCD」のためにあるのではない。今日、某大手レンタルCDショップに行ったら、「EDMといったらコレ!」という感じで、洋楽のEDMカバーCDが強力プッシュされていた。これでは、EDMというジャンルは企画物のためにあるように見えてしまうではないか。。。あるレコード会社の方は、「“EDM=パチモン洋楽CD”というイメージになってしまったら、我々は本物の洋楽でEDMのCDを作る意味がなくなってしまう」と言っていた。商魂たくましいのもいいだろうが、心ある音楽ファンなら(CDショップも含めて)、EDMを表層的な消費物にしてしまう動きには加担しないでほしいと切に思う。

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