iLOUDに記事を書いていると、面白いことに気づく。ニュースの種類と量に波があるのだ。3/12現在は、ビデオの割合が多くなっている。逆に、来日情報が多い時もあれば、試聴のニュースが多い時もある。
これは、何もみんなが示し合わせてやっていることではないだろうから、偶然の一致なわけで、まさにシンクロシティーだ。
人間はみんな、根底の潜在意識でつながっている(だろう)から、行動にもパターンが出現するのかもしれない。
それはさておき、Lady Gaga「Telephone」のPVはスゴい。彼女の強烈さは、こういうところではっきり出てくる。
「We Are The World 25 for Haiti」が公開されて、またハイチへの救援活動に拍車がかかっている。
死者数の発表も定まらない混乱状態なのだが、20万人前後が亡くなっているという。
こういったことは、世界中のどこで起きてもおかしくない。地震が起きないところにも、ハリケーンなどの自然災害は発生し得るのだから。
そうした事態に直面したときに、少しでも力になりたいと思う気持ちは「愛」なのだと思う。それは、「恋愛」の「愛」とは違う。
「愛こそ全て」と言うときの「愛」も、「恋愛」の「愛」ではないと思う。
「恋愛」を軽視するわけではないが、「愛」という言葉が指し示すもののは大きく分けて二つあり、より崇高なのが「恋愛」ではないほうの「愛」だと思う。
僕は20歳前後の頃、とてもファッションが好きだった。特にUKのデザイナーが好きだったので、ロンドンに行くと、昼は買い物、夜はライブ/クラブで、大忙しだった。
ファッションと音楽が好きだったので、就職はそれに関連したものを探し、うまく某ファッション・ビルに就職することができた。
それほど僕はファッションが好きだった。
しかし、就職して業界の現実を見てしまってからは、急速に関心を失い、今に至っている。
そんな僕にも、好きなデザイナーはいまだにいる。その一人が、Alexander McQueenブランドのLee McQueenだった。それだけに、彼が次の世界へ旅立ってしまったことには、悲しみを隠せない。
素晴らしき才能ある者が、この世を早く去りがちなのは、なぜなのだろう?
創造とは、かくも危険な行為なのだろうか?
そんなことを、考えてしまった。
今や誰もがデジタル配信で楽曲をリリースできる時代、レコード会社を通さない。自主制作リリースは増えているのだが、メジャーレコード会社からのリリースは減っている。
これは、みんなが自主制作を選んでいるからというわけではなく、音楽業界も世間並み(いや、それ以上?)に不況の影響を受けているからだろう。新人は、デビューしにくくなっているし、プロモーションもあまりしてもらえないから、ヒットする確率も低くなっている気がする。
こういう閉塞感の強い状況は、周期的にあるわけで、そういうときはインディー・シーンが地道に盛り上がっていく。
そんなことを考えているうちに、自分の次にやりたいことが見えてきた。
遅くとも初夏までには、何かアナウンスしたいと思っているので、よろしくお願いします。
数ある音楽賞の中でも圧倒的に権威があるのは、やはりグラミー賞。
まさにアメーリカーな感じなので、僕にはちょっとピンとこない部分もあるけれど、Phoenixが受賞したのは、ちょっと嬉しかった。
一番残念だったのは、MGMTがBest New Artistにならなかったこと。やっぱりアメリカにはアメリカの土地柄があるんだなぁって、すごく感じてしまった。
こういうイベントは、音楽の本質とはあまり関係ないけれど、人々の関心を音楽に向けさせるという意味では大きな力を持っている。そこにグラミー賞の存在価値があるのだと思う。
とりあえずiLOUDに結果をまとめてみたので、気になる方は、チェックしてみてください。
「LOUDは何の雑誌ですか?」と、たまに聞かれることがある。サブタイトルには、RADICAL MUSIC & CLUB CULTURE MAGAZINEと入っているのだが、それでは分かりにくいのかもしれない。
要は“革新的要素のある、旬の音楽を紹介する雑誌=今一番カッコイイ(とうちが思う)音楽を紹介する雑誌”なのだが、これがロック雑誌とかパンク雑誌とか、昔からあるジャンル概念に当てはまらないので、理解できないのだろう。しかも、“革新的要素”はロックにもクラブミュージックにもJ-POPにもあるから、ジャンルを前提に音楽を聴いている人には、LOUDの特徴がよく分からないのだ。これは理解できる。
しかし、考えてみて欲しい。
みんな、そんなにジャンルなど意識して音楽を聴いているだろうか?
あるリスナーのiPodに、ビヨンセとフランツが一緒に入っているのは、よくあることだと思う。そこにリンキン・パークとデヴィッド・ゲッタが入っていても、僕はまったく驚かない。
逆に、フランツとクラクソンズの入っているiPodに、ビートルズやレッド・ツェッペリンが入っているほうが、不思議に思えるのだ。
ジャンルは、あくまで便宜上のタグだから、それをメインに考えると本質を見失うことになる。ジャンルよりも、音楽の世代感や、現時点における革新性のほうが、現代のリスナーにとっては重視されるべきポイントだろう。
リスナーの音楽に対する姿勢は、年々オープンになっていると感じる。アーティストは、それよりさらにオープンで、今やジャンル分けしようとしても無理なアーティストは多い。LOUDは、そんな時代に対応した音楽専門誌でありたいと思っている。
Nadastrom Video Promo from System D-128 on Vimeo.
Nadastromには、大沢伸一さんも注目中。作風の一貫性は、あまりないような気もしますけど、これはSystem D-128制作のPVがおもしろいのでご紹介。
LOUD/iLOUDの編集ポリシーに、「できるだけネガティブな言葉を使わない」というものがあります。すべての言葉には、なんらかの言霊があると感じるからです。
お釈迦様の名言で、
「ある人が贈り物を持ってきたとして、それを相手が受け取らなかったら、その贈り物は誰のものになるだろう?」
というのがあります。つまり、自分の発する言葉には、責任を持たなくてはならないのです。
今朝、フジテレビを見ていたら、ハイチ地震の救援状況報道と寄付受付の告知がされていた。報道機関たるもの、それが当然の姿であると思う。昨晩、某局のダメダメぶりを見てしまったばかりだったので、ちょっと安心した。
ニュース番組の使命が、報道ではなく、世論誘導になってしまったら、放送局としては終わりではないか。
そんなことを最近、よく思う。
ネット上のニュースにも、世論誘導的だと感じさせるものが多い。
このブログで何度も書いているが、事実と推測(憶測)の区別ができないと、世の中は正しく見られない。
それは音楽でも同じで、音楽雑誌の内容にも、事実とライターの主観が入り乱れている。
いかなる状況でも、重く見るべきは、事実なのだ。